「十馬神マトゥーマ」についての金子的考察

1.発想の原点
「キト伝説」とは、本来単発であったレーザーショウにストーリー性を持たせ、音楽、映像、そしてレーザーエフェクト、照明、特効等を総合し、ひとつの舞台芸術に昇華した最初のシリーズ作品である。その根底には人間社会に古くから根付く、様々な問題意識が脈打っている。毎回、空想の産物である悪霊達にその問題意識を投影し、全能神キトがいかに裁くかをテーマとする。
けだしエンターテインメントである以上、この文章のような堅苦しい表現は用いられない。「現代の昔話」と言うべき民話調の語り口で展開される。またCGで描かれた映像は昨今の技術一辺倒に走りがちな物とは一線を画する。あくまでも「絵本」を基調とし、子供達にも分かりやすく明確に描かれる。
限られた時間の中でいかに骨太な表現に徹するかが、このレーザーショウの骨子でもある。
2.十馬神マトゥーマ
物語中にも説明がしてあるが、十馬神マトゥーマとは獣達の神様である。最初は単にマトゥーマという悪霊を考えていたが、話を作っていくうちに、今回のテーマが見えなくなってしまった。毎回悪霊に何をさせるか、が肝心なわけだが、その役を担ってしまったのが今回はなぜか人間だった。いや、そう作ってしまったのがいけないのだが・・・
そのテーマというのは親子の愛情という永遠普遍なものだ。これを叫ぶのに恥ずかしがっていてはいけない。そのために神様やら精霊、悪霊を設定するのだから。実際に動かしてみると意外に悪霊マトゥーマはかわいそうな存在だと気付き、それならば悪霊をやめて神様にしてしまおうと。逆に近頃殺伐とした事件の多い人間様を悪霊の役に落としてみようと思った。同時に考えたのは、生命の尊さを忘れかけている人間への警鐘という意味も持たせてみようというナイスなアイデアだった。
そして辿り着いたのが、十馬神マトゥーマの子供を人間が捕獲、珍獣として売ろうとするがキトと三吉に阻止される、というストーリーだった。
・・・単純!
十馬神というのは、馬の頭を十個持つという外見から名付けられたが、正確に十個見たという者はいないのかもしれない。マトゥーマというのは、「真苫(まととま)」から取られたとしたが、これも空想の地名である。
3.和太鼓との共演
毎回話題になるのが地元芸能との共演。それもありきたりのジョイント形式ではなくストーリー展開の中で役割を担っていただき、登場に必然性を持たせる。そうすることによって流れがより自然になると期待される。
今回は去年の白鳥、宝暦義民太鼓の皆さんに引き続き、和良村から陣屋組の皆さんが参加してくださった。
去年は百面という白鳥の太鼓神を捻出した。今回も新たな演出が必要だ。必然的に十馬神マトゥーマと重ねてみることになった。陣屋組の皆さんの勇壮な演奏とも相まってこの試みはお蔭様で成功だったと思う。
4.キトの存在とは
今年で5回目を向かえた「キト伝説」。一体このキトとはどんな存在理由、意味があるのか。
ひとつには高鷲を守る神である。村を大雪が襲えば山から食べ物を運び、悪霊が田畑を荒らせば退治する。もうひとつは神ヾのまとめ役である。今回の十馬神マトゥーマ、実は獣の世界ではトップの存在である。それを牛耳ることができるほどの力を持つのがキトなのである。
一方、人間界とのパイプ役を果たしている三吉少年がひと言呪文を唱えればどこからでも一瞬で現われるフレンドリーさも持ち合わせている。実にマメな神でもある。ヒマといううわさも・・・
この三吉君、今後更に重要な人物になってゆくのであるが、本人はそんなこと知る由もない。Oh・・・
5.今後のレーザーショウ
レーザーショウは年々グレードアップしてついにキト伝説に辿り着いた。今後は更に新しいものを取り入れつつ伝統を重んじるという、「温故知新和洋折衷」、あるいは「サイバー民話」をどんどんやっていきたい。
因みに、三吉少年のおばあさんが、実は、あの人だった・・・!というどんでん返しも考えているのでお楽しみに。(詳しくは「キトの由来」見てね)
では、今後とも応援よろしくです!ありがとう!